Shibaのブログ

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日本文学の価値づけは、未来の文学の歩みに懸っている――奥野健男『日本文学史』(中公新書):書評【日日書感No.1】

 

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奥野健男著『日本文学史中公新書212

 

 本書は、日本近代文学を、明治初期の江戸時代の影響が濃い戯作文学から、戦後高度経済成長期の石原慎太郎大江健三郎まで時代順に解説し、俯瞰的にまとめたものである。作家作品の背景にある文芸思潮の解説に特色が見られ、歴史背景も踏まえた時代ごとの空気を伝える、教科書的な本といえるだろう。例えば自然主義白樺派新感覚派プロレタリア文学無頼派第三の新人等、各派閥やグループの特徴を明確に解説していて非常に理解しやすくなっている。

 本書によれば、日本の近代文学二葉亭四迷の『浮雲』に代表されるように、支配体制の被害者や疎外者、競争から脱落した「余計者」の中から生まれ、その思想は戦後文学まで長く伝統となったと指摘される。この指摘は重要な観点を示すだろう。文学を主導してきたのは東大や早稲田・慶應の男性エリートが中心ではあったが、その思想背景には、敗北者の自虐性、脱落者の内向性、格差や差別への関心、弱者への共感、権力や支配への抵抗、旧時代への反逆、つまり、中心から疎外され、抑圧された者達への意識があった。もちろん、日本近代文学には、純粋な芸術的志向や伝統回帰、国粋主義、肉体賛美、退廃主義、大衆性などの思潮も含まれてはいる。とはいえ、日本文学の底には、やはり「余計者」的意識が影のように付きまとっているように感じられる。それは西洋に遅れて近代化が出発した日本にとっての拭えない傷による感覚なのかもしれない。しかし、そのようなコンプレックスを乗り越え、様々な試行錯誤を経て、世界の同時代的な問題意識を共有し始めたところに、日本の現代文学の可能性はあると本書は結んでいる。そして、世界文学としてはまだ歴史の浅い日本文学が、今後どのように価値づけられるのかは、未来の文学の展開に懸っているのだと、著者は述べている。

 本書は、日本文学を鳥瞰した解説の中にも、著者自身の文学観が含まれ、その部分を参考にして自分なりの読みを展開する契機にもなりうるだろう。しかし、作品や作家ごとに深入りして解説は行っていないため、著者の解説する各時代の空気を肌で感じるためには、やはり紹介されている各小説や評論、詩や短歌などに直接触れなければならない。ゆえに本格的な研究をする人にとってはやや物足りなさを感じるかもしれない。だが、文学を志す初学者や、一般教養や知識として文学に触れたいという人にはぜひとも薦めたい一冊である。

 

 

 

文献:奥野健男『日本文学史 近代から現代へ』中公新書 212(中央公論新社 2002年)初版は1970年。

 

 

 

追伸:画像は図書館で借りたものですが、後にしっかり新刊で購入しようと思っています。ご諒恕ください。

 

 

2020.4.20.Shiba