Shibaのブログ

日々の読書や芸術鑑賞、旅行などの体験を記録するとともに、その中で感じたこと、考えたことを記述します。

あの夜のこと。命のこと。1

 僕が最近、いつでも尾崎の話をしていて、もう聞き飽きたよと思う人もいるだろう。それはその通りだと思う。熱狂的なファンみたいになってしまって、少し気持ち悪いかもしれない。それはわかってる。でも、僕がそれだけ尾崎に心酔するのには理由がある。

 あの夜、僕の心が滅茶苦茶になって、何もかもわからなくなったあの夜、僕の心と体をぎりぎりのところで支えて、生きさせたのは尾崎の歌だけだった。僕には居場所がなかった。東京の住まいにも、実家にも帰りたくはなかった。

 僕はその日、弟と会っていたが、その後で例の騒音の苦情について管理会社から知らされた。僕は色々の損害が自分に出るというよりも、僕に対して猜疑と憎しみを向ける人々のすぐ近くで生活しなければならないことが、なによりも苦痛だった。僕は最近、オンラインで友達や担当医の人など、色々な人に話を聴いてもらうことで、かなり救われていた。一か月以上も不眠を引きずり、悲しみの感情に囚われていた僕はもう、限界だったのだ。そこに、最後の一押しだった。僕はもう何もわからなくなって、家に帰った。食べるものがなかったのでカップラーメンを買っていた。どうやって買ったのかも、どうやって家に帰り着いたのかもわからない。それほど僕は追い詰められていた。

 家に帰ってお湯を沸かした。カップラーメンを待った。パソコンを付けた。なにか音楽でも聴こうと思った。BUMP OF CHICKENの「ギルド」やフジファブリックの「茜色の夕日」が、僕のその夜時点までの救いだった。ロックを聴いていた。ブルーハーツもTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTも好きだった。ASIAN KUNG-FU GENERATIONサカナクションも好きだ。相対性理論もたまに聞く。神聖かまってちゃんもかなり良い。BOOWY東京事変もamazarashiも好き。とにかくロックが好きで、なんでかっていうと、ロックって絶対に弱者の味方だと思ったから。世界には色々な弱さがある、でも大体、様々な人間的な弱さに通じ合うのがロックだと思う。弱い人間が、それでも人を愛そうとすること、それがロックであると思う。だから僕のYouTubeのおすすめにはロックばかりだった。そこに、その夜、尾崎の「シェリー」が唐突に現れて来た。

 僕はそれを聴いた。カップラーメンを食べながら聴いた。別に大した気持ちで聴いたのではなかった。なんとなくの時間つぶしだった。だらだらと聴いていた。尾崎のライブ映像だった。見ているうちに、泣きそうになりながら尾崎が歌っているような気がした。すると、彼の言葉の一つ一つが、僕の心の中の奥底にまでしみわたってくるのを感じた。その時、僕の目からぼろぼろと涙があふれ出た。どこへも行けない僕を、どこにも居場所がない僕を、尾崎は抱きしめてくれた。「お前はここにいていいんだ」という、僕が今まで一度もかけられたことのない言葉を、尾崎が言ってくれたような気がした。尾崎の鋭い叫びが、僕にはこれ以上ない優しさだった。

 僕は声を立てて泣いた。幼いころから堰かれていた思いが、どっと洪水のようにあふれ出た。僕は泣き続けた。何度も、何度も。涙が眼鏡を濡らした。服を濡らした。それでも泣き続けた。あらゆる青春の挫折を思い出した。叶わなかった恋、果たせなかった約束、裏切ってしまった期待、そういう全てを思い出した。男だから、泣いちゃいけない。そういう風に教えられていた。男なんだから、強くなきゃいけない。賢くなきゃいけない。なんでも自分でできないといけない。お前は男なんだから、長男なんだから。いい大学に行って、いい会社に行って、いい奥さんを貰わないといけない。そんな風に教えられてきた。それらが全て、僕を縛っていたのだと知った。

 尾崎もまた、縛られていた。だから、本当の自分を求め続けたのだと僕は感じた。

 ひとしきり泣いたら、僕はここにはいられないように思った。どこへでも行ってしまおうと思って、玄関を飛び出した。食事のゴミも片づけてないまま、財布と鍵と上着だけを鞄に詰めて、外に出た。そして、なんとなく南へと向かった。帰り道に付く人々とすれ違った。そのたびに下を向いて歩いた。誰も僕を見ないでくれ、そう思った。

 護国寺まで来た時、雨が降り出した。護国寺には元禄期から残る大門がある。その下で、「羅生門」みたいに雨宿りをしようと思った。寺に入ると、雨は弱まった。そして、そのまま上がってしまった。護国寺には猫がいる。その日も道の真ん中で寝ている猫がいた。一匹だった。僕を見るとにゃあおと鳴いた。僕が近くに座ると、猫は逃げなかった。猫は僕をじっと見ていた。でも、僕に害がなさそうだとわかると、そっぽを向いて欠伸をしていた。僕はそのまましばらく、猫と沈黙していた。

 猫が眠らなさそうだったので、僕は尾崎の歌を歌ってやった。できるだけ優しい声で、恋人に聴かせるように。シェリーを歌ってやった。僕は歌ってるうちにまた、泣いてしまった。猫は僕を見ていた。この人間は、何がしたいんだろうという目で見ていた。でも、猫の偉いところは、僕が歌いきるまでそこにいてくれたことだ。僕は猫にあいさつをすると、また音羽の通りを南へと歩いて行った。

 音羽の通りは静かであった。通行人もそれほどいなかった。タクシーのテールランプが、雨に濡れた道路を赤く染めては、音もなく消え去っていく。九時半を過ぎていた。まばらに営んでいる店々の明りが、僕にはまぶしかった。涙の跡が残る頬を帽子で隠して歩いた。

 泣きすぎて腫れた目に、六月の夜風は涼しかった。

 

〈続く〉