Shibaのブログ

日々の読書や芸術鑑賞、旅行などの体験を記録するとともに、その中で感じたこと、考えたことを記述します。

2020年東京都知事選挙に寄せて

 2020年7月5日、本日は東京都知事選挙の投票日です。それに寄せて、僕が思うことを少し述べようと思います。

 今や国民的漫画となった尾田栄一郎『ワンピース』第10巻第90話に、僕の一番好きな名言があります。小さなコマで、あまり注目されるような場面ではないですが、本当にいい言葉です。主人公ルフィが、魚人アーロンと闘う中で放った言葉であります。アーロンは魚人が人間の上位種であるという自負を持っており、人間は魚人に比べて劣っていて、何もできない弱い種族だとけなします。それを受けて、ルフィは以下のように言いました。

おれは剣術を使えねェんだコノヤロー!!!

航海術も持ってねェし!!!

料理も作れねェし!!

ウソもつけねェ!!

おれは助けてもらわねェと生きていけねェ自信がある!!!

 選挙の話をしていて、いきなり少年漫画の話をするのは関係が無いように見えますが、僕が政治に求めることの第一が、上述したルフィの言葉に詰まっているような気がするのです。

 僕は常々、人間とは一人で自立して生きているようであって、多くの人と助け合って生きているように思うのです。それは友人とか配偶者とかそのレベルの話だけでなくて、本当に多くの人間が目に見えない助け合いの網で繋がっているように思うのです。

 ここで僕の話を少しさせてください。僕は、実は広義でいうならば障害に入るような疾患を持ってこの世に生まれました。その疾患の名前は、先天性内反足と言います。これは、足が何らかの原因で内側に歪曲して生まれてしまう疾患で、治療が成功しないと歩行困難になり、足の甲で歩かなければならなくなる場合もあります。大体1000人に1人くらいの確立で発症するらしいです。幸いにも、僕はその疾患を完治することができ、今は生活に支障がない状態になっています。

 そういう疾患を持って生まれたので、僕は生まれたときから、普通の人以上に誰かに助けられて生きることが多かったように思います。病院の先生や保育園の先生、両親、祖父母、その他色々な人の理解を得て、助けてもらって生きてきました。僕の小さいころの写真を見ると、ほとんど足にギプスをはめています。3歳くらいでギプスが取れても、12歳になるまで、夜間はずっと矯正のための装具を足につけて寝ていました。夏場は蒸れるし、肌も荒れたでしょう。僕もつらい思いをしたことをよく覚えています。自分が普通とは違うことで悩むこともありました。

 それでも、今になって思うと、それだけ僕は誰かに助けられることの意味を知れたし、何かマイナスを抱えて生きていることのつらさや孤独みたいなものも知れたと思います。話を戻しますと、ルフィの言葉が僕に響いたのは、きっと僕自身が、誰かに助けてもらわないと生きていけない人間だということを、強く感じて来たからだと思っています。

 今も僕は、色々な疾患や悩みを抱えて、友人や大学の先生や医者の先生や家族に助けられながら生きています。そしてそうやって助けられることは、人間として当たり前のことなのだと思うようになりました。自分ももしかしたら、過去に誰かを助けていたかもしれないし、今後も助けたいと思うし、そうやって助け合うことが、人間の人生ってもののように思います。

 誰も一人になるべきではないし、誰でも生きていく権利はあるし、どんな生でも肯定されるべきだと僕は思います。

 ところが、最近はどうも「自己責任」というような言葉が流行り、経済的に困窮するのも、学業がしっかり行えないことも、家庭を持てないことも、全てがその人自身の責任であって、その人が努力しなかったのが悪いのだ、と考えられているように思います。その結果、互いに助け合い、いい意味で依存しながら生きてきた人間が、孤立し、切り離されるような感覚が生じているような気がします。障害や疾患を抱えた人は、その人自身は何も悪くないのに、効率的な生産活動が難しいという理由だけで、施設に入れられ、個人の自由や尊厳を全うできない状況にされているようにも思います。

 僕は、自己責任なんて嘘の言葉は使わないで、全ての人に、生きる価値があることを認め、みんなで支え合って共生していくことが本当に良い社会であると思います。

 しかし、人間個人の力ではできることが限られています。今日本にだけでも一億人を超える人が暮らしていて、巨大な諸制度と生産機能があります。一人でそれを変えることはできません。だからこそ、政治があり、選挙があるのだと思います。僕たちの考えを、目指す社会の像を、実現するための制度が民主主義だと思います。ゆえに選挙に行って意思表示をすることが大事なのだと思います。

 僕の大好きなミュージシャンの尾崎豊に、「誕生」という曲があります。その最後に、彼はこういうセリフを入れています。

新しく生まれてくるものよ お前は間違ってはいない

誰も一人にはなりたくないんだ それが人生だ 分かるか?

 障害があっても、疾患があっても、まわりの人と違ってしまっても、それは間違いではないのだと尾崎は言ってくれています。全ての生が、それ自体として輝いていて、全ての人間に生きる価値があるのだと、僕は捉えています。そして、互いに足りない部分を、互いに補い合うのが人間の社会であると思います。

 政治は、助け合いのより大きな形であるべきだと思います。困っている人には、手を差し伸べる。足りない部分には、それを補う政策を行う。それが政治の役割です。政治には、それができるんです。人を思いやる心さえあれば、人類はどんなことだってできます。できると僕は信じています。まだ、諦めるにははやいと思います。

 さて、今回の知事選挙で、一番思いやりがあるのは誰でしょう。困っている人々を助けようと言っているのは誰でしょう。それを実現できそうなのは誰でしょう。それは、皆さんの判断にお任せいたします。ただ、未来を決めていくのは、僕たちの一票なのです。それを捨てることは、未来を捨てることにもなります。僕たちはまだ若く、この世界の中で生きていくしかないのです。だったら、皆にとって暮らしやすい社会になった方が、絶対に良いはずです。

 それでは、この辺で筆を置きたいと思います。またいつかお会いしましょう。