Shibaのブログ

日々の読書や芸術鑑賞、旅行などの体験を記録するとともに、その中で感じたこと、考えたことを記述します。

あの夜のこと。命のこと。2

 僕はこの道を南に、ひたすら南に行けば、やがて海に着くだろうと思っていた。海が好きなわけではなかった。でも、そこまで行けば何か見えるだろうと思った。僕はもう丸二日寝ていなかった。食事も一日一食くらいしか食べてなかった。だから、足取りは不安定だった。人とぶつかりそうにもなった。そのたびに人が僕を責めるように思えた。街が僕を責めていた。僕はこの世界の人間ではないような気がした。

 海に着いたら、それがどれくらい先になるかわからなかったが、飛び込んでしまおうかと思った。そうすれば、海が僕の居場所になるような気がした。

 途中で僕はトイレに行きたくなったから、コンビニに寄った。トイレを借りるだけじゃすまない気がして、ジャスミン茶を買った。飴も買った。これで少し水分と糖を取れば、歩き続けられると思った。

 江戸川公園まで来た時、僕はそこのベンチに座り込んだ。そこに横たわりたかったけれど、ホームレス対策で座席が一人分ずつで分けられていた。僕はホームレスの心が少しわかった。どこにも行き場がなかった。外でも、公衆衛生だか街の外観だかの政策で、ベンチで寝ることも許されない。僕はそんな人々が日本にもまだ多くいることを悲しんだ。彼等の悲しみは、金がない事でも、家がない事でもない、人間にとって本当の悲しみは、自分の居場所がなくなることだ。つまり、愛が与えられないことだ。

 僕はまだ歩けた。そこで休んでから、また歩き出した。海までは遠かった。道行く人々が皆、顔のない人形のように見えた。街が色を失っていた。僕はなぜ歩いているのか、なんのために歩いているのか、何もわからなかった。疲れ果てて、頭痛がした。動悸が激しくなった。息苦しかった。もう死んでしまいたいと思って、涙がでた。

 僕はどうしようか、最後に迷っていた。このまま歩き続けて、死んでしまおうかと思った。僕は人生の最期は、こんな感覚なのかと思った。死がすぐ近くにあるように感じた。未来という時間が信じられなくなった。僕の人生はもう、今夜だけしか残されていないと感じた。強く、そう感じていた。

 ふと、両親の顔が浮かんできた。僕がこんなことになっているのも、二人に原因があるのはもう知っていた。僕は愛されなかった人間ではないのだ。愛され方を間違えてしまった人間なのだ。だから僕は、いたずらに両親を責めることもできなかった。僕は、ただ幼い自分の心を抱きしめてほしかった。少しだけ、そんな期待をしていた。

 東京には、居場所がないことはもう、わかっていた。この先に待っているのは、何らかの形の死であると悟った。だから僕は、ひとつの決断をした。今思えばこの決断こそ、僕の人生最大の決断だった。

 僕は群馬の実家に帰ることにした。

 また雨が降っていた。東京の街が僕の背中を押して、僕は近くの地下鉄の駅に入った。有楽町線だったと思う。そのまま池袋で乗り換えて、JRへ。時間は10時を過ぎていた。群馬行の電車はまだあった。僕はそれをホームで待った。何もしていないと押しつぶされてしまいそうな心だったから、僕はスマホで尾崎の曲を聴いた。「僕が僕であるために」「シェリー」を繰り返し聴いた。人前でも嗚咽しながら泣いた。僕にはもう、尾崎の曲の中にしか居場所がなかった。尾崎は全てをわかっていた。愛されない人間の苦しみをわかっていた。そして彼は、それでもなお、愛されるべき人間たちのために歌った。

 電車がホームに入って来た。僕は停車位置ではない場所にいた。ベルが激しく鳴る。僕は焦って走り出した。涙が止まらなかった。様々なしがらみを東京に置き去るような気持で、僕は電車に駆けこんだ。

〈続く〉