Shibaのブログ

日々の読書や芸術鑑賞、旅行などの体験を記録するとともに、その中で感じたこと、考えたことを記述します。

贖罪の記

 僕はまた、罪を犯してしまいました。申し訳ありませんでした。もう何度目であるかわかりません。僕がいると、まわりの人たちが迷惑してしまいます。生まれてきたことが、間違いであったのだと思います。

 僕は、自分の行為に責任を取らねばなりません。しかし僕は、ときに無責任に人を傷つけます。それは、僕の情けなさが原因です。僕は情けない人間です。未熟な人間です。でも、それは言い訳にはなりませんよね。僕はもう大人なので、僕の行為は、全部僕の責任です。僕の自由意思によるものです。僕の病気であるとか、僕の状態であるとか、そういうものは言い訳にはなりません。すみませんでした。

 僕がどうしてあのようなことをしたのか、そのようなことをしてきたのか、それは単純に言ってしまえば、僕が周りの人々に愛されたかったからです。誰にも嫌われたくなかったからです。みんなにいい顔をしたかったからです。僕は誰かの特別でありたいと思ったからです。でも僕は、欲張りすぎました。普通なら一人の人だけの特別にならなければいけないのに、複数の人の特別になろうとしました。僕はだから、罰を受けました。僕はそして、多くの信頼を失いました。もう誰も、僕のことを信じてはくれません。

 僕は、この罪を一生かけて償いたいと思います。僕はまた、心に一つの十字架を背負わねばならなくなりました。僕はまた、人を深く傷つけてしまいました。僕はまた、人の心をもてあそんでしまいました。僕はだから、この罪を一生償い続けなければなりません。僕はこの罪を忘れません。忘れたくても、罰を受け続けるので、忘れません。

 僕は、もう自殺でもしてしまおうかと思いますが、それは償いにはならないことを知っています。でも、僕は自分が生きることに自信が出ません。僕はそのうち、自死をしてしまうかもしれませんが、それは皆さんのせいではありません。全て僕のせいです。僕が情けないことに端を発したことです。僕が生きていることが、もしかしたら間違いなのかもしれません。僕ははやく死にたいと思います。でも、できる限り生きて償いをしたいと思います。どうやって償うかは、今はまだ何とも言えませんが、僕はこの罪を背負い続ける覚悟は持っています。僕の心に刺さった幾つもの十字架に、誠実に生きたいと思っています。

 皆さん、どうか僕を憎んでください。僕以外の人を憎まないでください。憎まれることは、慣れております。だから僕を憎み続けてください。僕はその憎しみで傷つけられながら、生きていきます。僕は周りの人を傷つけたので、僕自身がもっと深く傷つけられなければなりません。僕は血をたくさん流さねばなりません。どうぞ僕に石をぶつけてください。槍で貫いてください。僕を殺してください。

 僕はなんだか、加害者なのに被害者のように言葉を使っているように感じられるかもしれません。でも僕は、本当に罪を犯してしまったことに、深く済まないと思っています。僕は生まれて来たことが間違いな気がします。僕は生まれなければよかった。それならば、僕は誰も傷つけずに済んだのに。それもエゴイズムですが。僕はどうしても、人に愛されたくて、愛されようとして欲張って、滅茶苦茶なことをしてしまいがちなのです。僕は病気なのです。でもそれは、僕の行為の釈明にはなりません。僕はダメな人間であるから、人一倍他者に気を遣って生きなければなりません。今回のことで、深くそれを学びました。僕はもっと、人の気持ちを考えて行動するようにします。すぐには難しいかもしれませんが、人を傷つけないように生きていきたいと思います。その償いの痛みに耐えきれず、僕は死んでしまうかもしれませんが、その時はその時です。それまでにたくさん、償いたいと思います。

 このブログも、もう更新を停止すると思います。思えば僕は、誰のために文章を書いてきたのでしょうか。自分のため、愛する人のため、全ての人のため、どうでしょうか。僕にもよくわかりません。しかし、僕のエゴイズムの発露をこれ以上続けることは、もう僕自身耐えきれませんし、読む人も耐えきれないと思います。僕は本当に罪を犯してしまって、申し訳ないと思っています。すみませんでした。

涙の深海、永遠

 君の胸の深さはどれくらいか

その涙の海に空いた穴は

どれくらいの大きさなのか

僕にはわからない

 

僕の胸の涙の深海は

君よりも浅いだろうか

そんなこと考えても

わかるはずはないのに

 

僕らは通じ合うけれど

違う人間だもの

わかりあえないはずだ

それでも寄り添いあう

 

僕ら傷つき合うからこそ

僕ら血を流すからこそ

互いに寄り添い

愛し合うことができる

 

僕らはどこからきて

どこへ向かうのか

何者になるのかも

まだわからない

 

それでも僕らは

ただ互いの存在だけを

抱きしめあって

涙の深海を溶けあわせる

 

もう二度と離れはしないと

いつまでもそばにいるよと

 

永遠を誓い合う僕らは

きっと誰よりも

永遠など無いと知っている

そしてそれを恐れている

 

僕は君の永遠になれるだろうか

君は僕の永遠になれるだろうか

禁断のワルツ

日本酒を出した

わかばの煙草も

抗うつ剤眠剤

今から踊る

禁断のワルツ

序章

 

酒を飲んでいる俺は

かっこ悪い

だらしなく過ぎ去る

酩酊の小時間

禁断のワルツ

第一章

 

煙草を吸っている俺は

かっこ悪い

くゆらす煙の先の

心地よい浮遊感

禁断のワルツ

第二章

 

薬をやっている俺は

かっこ悪い

神経の奥底まで届く

強烈な衝動感

禁断のワルツ

第三章

 

禁断のワルツ

終わりなき一人の舞曲

禁断のワルツ

終わりある生命の加速

禁断のワルツ

死にゆく自己の崩壊

禁断のワルツ

明日なき男の楽しみ

明日なき男の、苦しみ

 

禁断のワルツ、終章。

「琵琶行」と沈黙、「バーント・ノートン」と静止

以下は、大学二年の時に受けた、中国文学の授業の試験に対して、私が書いた回答である。

 

題:「琵琶行」と沈黙、「バーント・ノートン」と静止

 

 「琵琶行」は、白居易が左遷された先の江州で、ある女性の奏でる琵琶に感動し、その女性の身の上に自らを重ねて詠じた歌であるが、その音楽的描写の一部には深い思想的示唆が含まれているだろう。簡潔に述べると彼は音楽における刹那の「沈黙」に妙趣を感じることがあると詠んだ。この哲学的ともいえる感覚は、時代と場所を隔てた十九世紀の英国の詩人T・Sエリオットの詩「バーント・ノートン」にも似たものを見ることができるだろう。

 「琵琶行」では、女性の琵琶の音色が驟雨、囁き、真珠が玉盤に落ちる音、花々の中の鶯声、または泉水の激流など多彩に例えられる。そしてある時それは凍った泉のように停止する。「氷泉冷澁絃凝絶 凝絶不通聲暫歇 別有幽愁暗恨生 此時無聲勝有聲」の部分である。音楽が止まったその瞬間に秘められていた深情が溢れ出し、こんな時には音の無い沈黙のほうが、音が有るよりも果てしない詩情を秘めているということだろう。

 音楽は一般的に、その音によって表現を行うものであるとされるが、白居易はそれだけでなく、その音の間に響く静寂、あるいは音の余韻が飽和していく時間の帰結である沈黙にこそ、音楽の妙趣は存在するということに気づいていた。これは音楽の芸術性を特殊な観点から見ることに気付いているという点で、彼の詩人としての感性の才気を感ぜずにはいられない。

 一方で、エリオットの「バーント・ノートン」という詩の中にも、同じように沈黙の含む意味を思想的に表した部分がある。「言葉は話された後で沈黙に到達する 形と型によってのみ 言葉も音楽もその静止に到達できる 中国の壺がまだその静止の中で 永遠に動くように。」この詩が真に意味するところは難解である。ただ、本来は動的であるはずの言葉や音楽が静止に達することができ、その静止の中では永遠に動き続けるという二重の意味での矛盾は、つまりある一点での静止・沈黙の中に運動・発声を超えた意味が存在しうるということではないだろうか。そしてその意味とは永遠なる運動、つまりは単なる一時的な動作を超えた悠久なる価値が生まれるということではないだろうか。

 以上のように両者ともに沈黙・静止に詩情を見出すという点で類似していると思われるが、白居易のほうが音楽を具体的に例え、それをある特別な場面においての気づきとして感情的に述べているのに対し、エリオットは具体性を排し、抽象的・思想的に音楽を捉えて論述しているだろう。いずれにせよ、洋の東西でこのようにある意味で類似していると思われる観点が存在するのは興味深いことである。

 

参考文献

・岡村繁『白氏文集二下』(明治書院 二〇〇七年)p.p.840-850.

西脇順三郎・上田保訳『エリオット詩集』(新潮社 一九六八年)p.p.211-240.

きっと、何度でも

僕は君のことを考えると

いつも泣いてしまう

溢れた涙が大地に落ちて

そこから芽が出て

きっと、花が咲く

 

君を不安にさせてごめん

君に心配をかけさせてごめん

僕はろくでもない男だ

でも君はそんな僕を

愛してくれたね

 

生命には必ず終わりがある

僕もいつか必ず死ぬ

君もいつか必ず死ぬ

でも、僕ら星の運命に

導かれた二人はきっと

 

きっと、何度でも

生まれ変わって

また出会いそうな

気がするんだ

 

きっと、何度でも

僕は君に触れて

愛の尊さに触れて

涙をこぼす

 

きっと、何度でも

そのたびに僕らは

お互いを想いあい

涙をこぼす

 

きっと、何度でも

生命を繰り返して

僕らは必ず出会う

そんな運命を

信じてしまう

 

きっと、何度でも……

僕に出会ってくれてありがとう

きっと、何度でも……

生まれてきてくれてありがとう。

1000年前から

夕暮れの中を汽車に揺られていた
大きな荷物に寄りかかって
僕の身にはそぐわないほどの
愛の喜びを抱いて

ずっと苦しみの中にいた
孤独の苦しみの中にいたんだ
果てしなく続く砂漠を
僕は一人で歩いていた

胸に空いた穴からは
絶えず砂が吹き出ていた
埋まらない想いがいつもあった
僕はいつも死にたかった

はじめて僕が君にあったとき
僕は砂漠の空の向こうを
まだ見つめていたけど
君はただ僕を見ていてくれた

君が僕を見つけてくれたとき
僕はその愛を受け止めきれず
困り果ててすこし笑い
ごまかそうとしていたんだ

でも君の愛の真実に触れて
僕は世界に居場所を見つけたんだ
君が僕を見つけてくれた
君が僕に生き場所をくれた

君の息づかいのリズム
君の肌のなめらかな白さ
君の髪の優しさの香り
君の愛すべき全てに

僕と君が出会うこと
僕と君が愛し合うこと
それは1000年前の光を届ける
あの星が決めたことだったなら

1000年前から僕らは
出会う運命だったならなんて
そんなことを思いながら
僕は涙を流したんだ

1000年前から僕らは
愛し合う必然があったなんて
そんなことを思って
涙を流していたんだ

止まらない涙は君の
愛がくれた奇跡なんだ
死にたかった僕を救った
ほんとうの奇跡なんだ

君を愛している
誰よりも愛している

君を愛している
君を愛している。

さざめきの記憶

涙の川を渡ると

そこには何があるだろう

遠い悲しみの記憶

雲が立ち込めた空

 

僕はこの世界に

いらない人間なんだ

ずっとそう思ってた

今もそう思ってる

 

あの日愛されなかったこと

痛まないけど消えない傷

繰り返す夏の日の午後

今の僕はどこに

 

世界には僕しかいない

僕だけの世界

誰も知らない世界

一人ぼっちの空白

 

だけど君ははじめて

僕の世界に踏み込んだ

僕は戸惑いつつも

君を受け入れた

 

君は僕であるように

それほどまでに自然に

僕の世界にいた

 

君が僕を見つけた時

僕もまた君を見つけた

 

さざめきの記憶を胸に

僕は生きている

さざめきの記憶を胸に

君も生きている

 

僕ら愛し合い

そしてまた生きて

生きて

生きて

生きている。