Shibaのブログ

日々の読書や芸術鑑賞、旅行などの体験を記録するとともに、その中で感じたこと、考えたことを記述します。

あの夜のこと。命のこと。6

 祖母がお茶を出してくれた。祖父母は僕を見て、心配をしてくれた。でも、必要以上に色々と詮索することはなかった。僕はお茶を飲みながら、少なくともここには僕の居場所があると思った。ただ僕という存在を、そこに置いてくれる場所。そんな場所が僕には必要だった。

 祖父母としばらく話した。できるだけ正直に全て話した。就活のこと、卒論のこと、住まいのこと、不眠のこと、体のこと、過去のこと、そして、父母には会いたくないということ。

 祖父母は建前上、僕に父母に会うことを勧めたが、僕の様子を見て察したようで、無理強いはしなかった。僕はお茶を飲みながら、庭に集い来る鳥を眺めていた。スズメ、ハト、ツバメ、カラス。蝶が羽ばたくように電線の上で踊る鳥がいた。オナガだった。オナガは強い声で鳴く。悲痛なほどの声で鳴く。僕にはそのオナガの声が心地よかった。僕も今、叫ばないといけない時期にあるのかもしれないと思った。

 花が朝露に濡れる。鳥は空に歌い合う。涼風が木々を揺らせば、また新しい日の光が、世界を包む。そんな世界で、僕がまた新しい一日を過ごし始めたことが、僕が死なないで生き延びたことが、そのすべてが、愛おしくて、奇跡的で、運命のように感じて、僕は涙した。

 朝食の時間だった。祖父母と一緒に食べるのも気が引けたし、父母は顔も見たくなかった。僕は疲労の限界を越した体で、大通り沿いにあるマックに行こうとした。そこで、あることに気付いた。昨晩、混乱の中で用意もせずに出てきたため、電車賃で所持金のほとんどを使い切ってしまっていた。僕はほぼ無一文だった。祖父母に向かって、ぼそっとそんなことをぼやいたら、祖母は台所の奥にある棚から、一万円札と五千円札を僕に渡してくれた。これでなんとかできるかい、と祖母は僕の目を見ていった。僕はうなずいた。

 僕は家を出て通りを歩いた。まだ六時過ぎくらいだったから、人はそれほどいなかった。僕はまた、痛みすら感じなくなった体を引きずって歩いていた。マックには客がいなかった。僕は適当に目についたセットを頼んだ。珈琲もマフィンも味がしなかった。僕は外を眺めて頭を掻き乱した。頭の奥で虫が湧いているような違和感をずっと覚えていた。痛くて、眼が空かなくなった。僕はでも、朝日の中で生きてしまった自分を感じた。僕は適当にそこで時間をつぶしてから、またあてもなく歩き出した。

 僕は僕の通っていた保育園の方へ向かった。近くに大きな古墳があった。その周りは畑になっていた。僕はその古墳を遠くから眺めた。保育園には、もう幼児たちが親に連れられて来ていた。僕も父親に連れられて保育園に通っていたことを思い出した。僕はどんな子供だったろうか。僕はどんな思いで、どんな顔をして生きていただろうか。僕はいつ、こんなダメなやつになったんだろうか。僕はどうしたら、這い上がっていけるだろうか。

 僕は結局、家に戻ることにした。

 祖父母が僕を出迎えた。また僕は祖父母の家に上がった。少し話をして、ぼーっとテレビの時代劇を眺めていたら、僕は眠くなって、そのまま畳の上に横たわった。僕は気絶するように少し眠った。気が付くと、祖母が薄手の布団をかけてくれていた。僕はまた眠りについた。小さなころの僕は、泣き虫でねむたがりだったとよく聞いていた。僕はあの頃から、全く変わってはいなかった。僕は未だに泣き虫で、ねむたがりで、満たされなかった愛を求めている。

 僕が起きたとき、祖父母は庭で父母と話をしているらしかった。僕が帰っていること、様子がややおかしいことなどを話しているようだった。手のかかる子をどうしようかと相談しているようだった。二十一にもなる男が、こんな情けない幼児みたいなことをしていておかしかった。でも、僕という存在は、結局幼児なのであった。

 父母がどういう態度をとるのか、僕には知れなかった。母は過剰に僕を庇護しようとするし、僕を束縛し、僕を望ましいように変えようとした。父は僕に厳しくて、僕の心なんかお構いなしに怒鳴り散らした。僕はそういう二人を知っていたから、もし今度もそんなことをしたら、一生ここには帰るまいと思った。でも、父母は僕をどうしようともしなかった。だから僕は安心した。僕はそのまま、寝ているふりをした。

 母が仕事に向かった。父は休みの日だった。僕は九時ごろまで祖父母の家にいて、それからしかたなく父母の家に戻った。僕は自分の部屋に入ると、その無機質な空間にしばらく佇んだ。大学受験の参考書がばかみたいに残っているのを見た。東大の古典、東大の数学、東大の世界史。僕には望みが高すぎたのか。結局何もかもできずに、僕の努力は無駄になった。僕は全てにおいて失敗し、全てにおいて敗北してきた。僕の人生は、空っぽだった。

 僕はバッグを置くと、その表面にてかてかした跡がいくつもあることに気付いた。僕のズボンにもその跡があった。僕はそれが、ナメクジの通った跡だと気付いた。特に汚いとも思わなかった。僕は外で寝ているとき、ナメクジにたかられていたのだ。アルコールテッシュでそれを拭き取った。全てではないが、一応取れた。僕は僕にこびりついた過去の過ちの影も、同じように消し去りたいと思ってこすっていた。でも、僕の過ちは、僕の心の影は、消えることはなかった。それを背負って生きることの苦しみを感じた。僕は一生、この苦しみと闘い続けるのだと思った。

 その日は金曜日だった。カウンセリングの日だった。僕はその時間まで待った。そして電話がかかって来た。僕は何を話したのかは覚えていないが、色々と感情を全て吐き出してしまった。僕は途中で、泣きだしていた。泣きながら話していた。尾崎の話もした。尾崎が僕を救ってくれたのだと言った。先生は優しく話を聴いてくれた。心配もしてくれた。精神科にかかる際のために状況説明書みたいなものも書いてくれると言った。僕は少し気持ちが楽になった。僕は電話を切っても、まだ泣いていた。その後も何度も何度も泣いた。

 僕はその日、昼から十年来の親友に連れられてご飯になど行った。その時も色々と悩みを聴いてもらった。その日はすぐに東京に帰るつもりだったが、父母が僕に対しての態度を変えていて、あまり干渉することがなかったから、そのまま実家で一泊した。その次の日には東京に戻って、その日も違う友人とご飯をしたり遊んだりした。それが大体、今書いているこの時点から一週間前のことである。僕は最近、本当に色々な人に助けられて生きていると感じる。僕は少しだけ、前に進めているような気がする。僕は本当にたくさんのことで勝手に苦しんで生きている。でも、いつかそのすべてが無駄ではなかったと思えるようになりたい。

 僕は生きる。僕自身のために。僕は生きる。僕以外の誰かのために。僕はまだ、死ねない。

〈了〉