Shibaのブログ

日々の読書や芸術鑑賞、旅行などの体験を記録するとともに、その中で感じたこと、考えたことを記述します。

「何になりたいのか?」ではなく、「何を望みたいのか?」――ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』(河出書房新社):書評【日日書感No.2】  

 

 

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『サピエンス全史 上』頭を抱えるサピエンス男性は、我々が犯した罪の重さを表すのか、はたまた、我々の未来への不安を示すのか……。

 

 本書は、世界中で1000万部を超えるベストセラーとなり、一世を風靡した本である。流行した理由としては、恐らく内容が特定の立場や思想・宗教に肩入れするでもなく批判するでもなく、徹底的に中立に近いという点と、専門的でなく、文体も簡明で理解しやすい点、そして何より、「全史」という内容の通り、サピエンスが「取るに足りない」サバンナの猿だったころから、高度な文明を興し、種々の虚構と技術を生み出すことで世界の覇者となった現在、そして、私たちが神の領域にまで足を踏み入れ得る未来の可能性についてまで書かれているという点が多くの読者の関心を引いたのだろう。

 サピエンスの進歩は、主に約七万年前の「認知革命」、約一万年前の「農業革命」、約五百年前に始まった「科学革命」によって大きく左右されたと本書は述べている。筆者は、サピエンスが高度に発展した第一の理由は、「認知革命」によって可能になった「想像力」、つまり虚構を語り、それを信じる力であるとした。例えば宗教や神話、また人権や自由・平等、資本主義や社会主義もすべて皆、サピエンスが生み出した虚構であり、虚構によってサピエンスは社会構造を変化させ、多くの人々が協力できるようになり、ゆえに高度な文明を発達させるに至った、と言うのが本書の基本的な考え方である。

 

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『サピエンス全史 下』ホモサピエンス男性と謎の円環。途切れた頭と手。我々は何を望みたいのだろうか……。

 

 三つの革命のそれぞれの詳細な解説は他の書評や本書で確認してもらうとして、私がここで述べたいのは、本書の大テーマともいえる、サピエンスの幸福と未来についてた。サピエンスは破竹の勢いで進歩を遂げ、現代では最高の繁栄を享受するともに、史上かつてない平和を達成している。それは死亡率等の統計データで明らかになっている。しかし、サピエンスの進歩が、サピエンス自身や他の人類種、あるいは他の動物種を幸福にしたのかどうかは別問題として考えなければならない。サピエンスの幸福を問う試みは、残念ながら今までさほど行われては来なかった。

 今後サピエンスは、より高度な科学により、生物を自由自在に操作する神の領域へと足を踏み入れるだろう。その未来に対して現代の私たちがなさねばならぬことを、筆者は以下のように述べる。

 唯一私たちに試みられるのは、科学が進もうとしている方向に影響を与えることだ。私たちが自分の欲望を操作できるようになる日は近いかもしれないので、ひょっとすると、私たちが直面している真の疑問は、「私たちは何になりたいのか?」ではなく、「私たちは何を望みたいのか?」かもしれない。(下巻、p263)

 歴史を学ぶことで、私たち人類が徐々に、小さな文化から大きな文化へと統合していくダイナミズムの中にいたことがわかる。しかし、それは現在の私たちの状況が必然的な結果であるということを意味しない。私たちの過去にはいかような可能性もあったのだ。そして、私たち人類の行く先にも、無数の可能性がある。ゆえに私たちは、サピエンスという種が、また共に暮らす多くの動物種やそれを取り巻く自然環境が、どのような未来になることを「望みたい」のか、それを考えなければならない。私たちは、どういう欲望を抱いて、この先の未来を切りひらいていきたいのか。そういった深遠な問いを、本書は発している。

 

 

 

 

文献

・ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史 上・下』柴田裕之・訳(河出書房新社 2019年)初版は2016年。

 

 

 

 

2020.4.24.Shiba